今日は、精神論?に考えてみましょう。
以前から感じていたのですが、日本人は「粘り」とか「気持ち」という言葉、すなわち精神論なるものが好きなように思う。
たとえば、ポイント練習を行う時、グループでインターバルを10本やろうとしたとしましょう、しかし、7本目か8本目とかで目標としたタイムで走れなくなる。そしてやめてしまう。そして、グループから「気持ちで負けるな」とか言われた方は多いかもしれません。また、ペース走なんかも同じように、そうした声掛けも起こることがあるでしょう。
それ以外にもマラソンやなんかのレースで、十分に力があって前半先頭集団にいたはずなのに、半分過ぎたあたり、失速していく。そうした時に、「粘りがない」とか言われることもある。
そのため、その気持ちの弱さというのでしょうか、そうした部分において克服しようと、メンタルトレーニングが必要だということもいわれています。
なお、ここでは話を単純化するために「粘り」も「気持ち」の中に含めて考えていきます。
確かに、メンタルトレーニングが必要な方もいます。しかし、本質を捉えないままにメンタルトレーニングを行っても意味がないのではと思います。
よくトレーニングやレースの反省の時、グループから離れてしまった時に、その反省が「気持ちが弱いからです」という。しかし、本当に気持ちが弱いからなのでしょうか。その離れてしまう多くの人の原因は、気持ちが弱いからではなく、単純にそれができるだけの能力がないため、離れてしまうだけでしょう。たとえば、極端ですが5000m20分かかるものが15分のものについていこうとすると、早々とついていけなくて失速していくのと同じようなものです。
それに陸上競技において、スピード(速度)、最大酸素摂取量、乳酸性作業閾値、ウエイトなどによる重量など測定できるものと違って、気持ちの強さというものは数値化できるものではなく、測定できない。そのため、気持ちの強さは、非常に曖昧なものであり、能力がわかりづらいものです。このような曖昧なもので、反省にただ単に「気持ちが弱かったからです」というのは、問題点をぼかしてしまう。たとえば
ありがちな例文
A「なぜ、あそこで離れてしまったのかわかるか」
B「はい、気持ちが弱かったからです」
A「じゃあ、次に向けてどうすればよいと思う?」
B「次は気持ちを強く持って頑張ります」
実際のやりとりをごく簡単にすると、このような感じでしょうか。
これだと、なぜ離れてしまうかの理由が具体化できていない。離れてしまった原因は「気持ち」以外にもあるでしょうに。そうした意味でも、「気持ち」以外に原因を探さないということは、さらに速く、強くなるチャンスを自らつぶしてしまっているように思います。
もし、「気持ち」が原因だとして、それを改善するためにはどうすれば良いか考えた時、明快な答えは出ない。
それに、次のトレーニングやレースの時には、より気持ちを強く持つ、というのは間抜けな話。
というのも、失敗したトレーニングやレースでは気持ちが弱かったということになるが、トレーニングやレースの前は気持ちを強く持ってやらなかったのでしょうか。否、それをやるということは、意志があるということなので、気持ちを強く持つことは当然な話。そうでないのであれば、トレーニングやレースを行う意味もなさなくなる。さらに、実際に苦しくなった時、どう思うかが重要であるわけで、何もしてない状態で「気持ちを強く持つ」と思っても無意味。
「気持ち」を理由にするよりも、具体的な所で原因を探した方がプラスになるでしょう。
たとえば、競技レベルから考えた場合、1500mを平均ペースでも5分でしか走れないものが4分30で走ろうとすると、必ず無理が生じる。それは、気持ちを強く持てばその問題は解消されて走れるはずだというのもおかしな話でしょう。よって、まずは4分55秒を走れるようにトレーニングを積んでいく、そういうことなのです。
そのときに走れない原因として、トレーニング不足は当然のこととして、そこを細かく考えていくこと。
レース展開、筋力不足、心肺機能、単純なスピード、乳酸性作業閾値、ランニングエコノミーなど、考えられる材料はいくらでもあります。
ちなみに、私はマンガも好きなのですが、「ダイヤのA」という野球マンガになかなか良い言葉があったので、引用します。
甲子園準優勝校稲実のエース・成宮が決め球チェンジアップの捕球練習をさせて欲しいという後輩捕手に指導している場面があり、成宮が捕れるのか~?と言うと、その後輩捕手君が気合で止める的な事を言うのですが、それに対してこう言い放ちました。
「まずは技術!!技術が身についたら自信になるし、そこから気持ちだってコントロールできるんだって!!精神論だの気持ちだの弱いやつらの常套句だよそんなものは!!」
はい、バッサリです。
この考え方は、陸上競技にも通じるところがあるでしょう。
気持ちなんてものは、最後の最後で勝負を分けるのであって、それに至るまでに十分なトレーニングを積んだ時、初めて意味が出てくると思います。
つまり、普段のトレーニングは、楽しいときもありますが、きつい・つらいときがほとんどだと思います。しかし、気持ちというものは、こうしたきつい・つらいトレーニングを乗り越えた上で作られていくもの。先に気持ちを持っていたとしても、トレーニングを行わなければ、能力は向上しません。そのため、トレーニングがちゃんと積み、設定したタイムをこなせるようになって自信がつくようになり、目標とした記録に手が届くようになってこそ、気持ちをコントロールでき、はじめて意味を持つということです。
これから、秋になり、暑くてつらいトレーニングを経て、トラックなりマラソンなり、駅伝に臨んでいくと思います。その際の反省は、気持ちなんて言葉で片付けないで、今後どのようなトレーニングをすべきか、他の原因を考えること。その考えられる原因を克服して、次につなげていってくれたらと思います。
今後より記録を伸ばすために、今回の記事がその一つのきっかけになってくれれば幸いです。
以前から感じていたのですが、日本人は「粘り」とか「気持ち」という言葉、すなわち精神論なるものが好きなように思う。
たとえば、ポイント練習を行う時、グループでインターバルを10本やろうとしたとしましょう、しかし、7本目か8本目とかで目標としたタイムで走れなくなる。そしてやめてしまう。そして、グループから「気持ちで負けるな」とか言われた方は多いかもしれません。また、ペース走なんかも同じように、そうした声掛けも起こることがあるでしょう。
それ以外にもマラソンやなんかのレースで、十分に力があって前半先頭集団にいたはずなのに、半分過ぎたあたり、失速していく。そうした時に、「粘りがない」とか言われることもある。
そのため、その気持ちの弱さというのでしょうか、そうした部分において克服しようと、メンタルトレーニングが必要だということもいわれています。
なお、ここでは話を単純化するために「粘り」も「気持ち」の中に含めて考えていきます。
確かに、メンタルトレーニングが必要な方もいます。しかし、本質を捉えないままにメンタルトレーニングを行っても意味がないのではと思います。
よくトレーニングやレースの反省の時、グループから離れてしまった時に、その反省が「気持ちが弱いからです」という。しかし、本当に気持ちが弱いからなのでしょうか。その離れてしまう多くの人の原因は、気持ちが弱いからではなく、単純にそれができるだけの能力がないため、離れてしまうだけでしょう。たとえば、極端ですが5000m20分かかるものが15分のものについていこうとすると、早々とついていけなくて失速していくのと同じようなものです。
それに陸上競技において、スピード(速度)、最大酸素摂取量、乳酸性作業閾値、ウエイトなどによる重量など測定できるものと違って、気持ちの強さというものは数値化できるものではなく、測定できない。そのため、気持ちの強さは、非常に曖昧なものであり、能力がわかりづらいものです。このような曖昧なもので、反省にただ単に「気持ちが弱かったからです」というのは、問題点をぼかしてしまう。たとえば
ありがちな例文
A「なぜ、あそこで離れてしまったのかわかるか」
B「はい、気持ちが弱かったからです」
A「じゃあ、次に向けてどうすればよいと思う?」
B「次は気持ちを強く持って頑張ります」
実際のやりとりをごく簡単にすると、このような感じでしょうか。
これだと、なぜ離れてしまうかの理由が具体化できていない。離れてしまった原因は「気持ち」以外にもあるでしょうに。そうした意味でも、「気持ち」以外に原因を探さないということは、さらに速く、強くなるチャンスを自らつぶしてしまっているように思います。
もし、「気持ち」が原因だとして、それを改善するためにはどうすれば良いか考えた時、明快な答えは出ない。
それに、次のトレーニングやレースの時には、より気持ちを強く持つ、というのは間抜けな話。
というのも、失敗したトレーニングやレースでは気持ちが弱かったということになるが、トレーニングやレースの前は気持ちを強く持ってやらなかったのでしょうか。否、それをやるということは、意志があるということなので、気持ちを強く持つことは当然な話。そうでないのであれば、トレーニングやレースを行う意味もなさなくなる。さらに、実際に苦しくなった時、どう思うかが重要であるわけで、何もしてない状態で「気持ちを強く持つ」と思っても無意味。
「気持ち」を理由にするよりも、具体的な所で原因を探した方がプラスになるでしょう。
たとえば、競技レベルから考えた場合、1500mを平均ペースでも5分でしか走れないものが4分30で走ろうとすると、必ず無理が生じる。それは、気持ちを強く持てばその問題は解消されて走れるはずだというのもおかしな話でしょう。よって、まずは4分55秒を走れるようにトレーニングを積んでいく、そういうことなのです。
そのときに走れない原因として、トレーニング不足は当然のこととして、そこを細かく考えていくこと。
レース展開、筋力不足、心肺機能、単純なスピード、乳酸性作業閾値、ランニングエコノミーなど、考えられる材料はいくらでもあります。
ちなみに、私はマンガも好きなのですが、「ダイヤのA」という野球マンガになかなか良い言葉があったので、引用します。
甲子園準優勝校稲実のエース・成宮が決め球チェンジアップの捕球練習をさせて欲しいという後輩捕手に指導している場面があり、成宮が捕れるのか~?と言うと、その後輩捕手君が気合で止める的な事を言うのですが、それに対してこう言い放ちました。
「まずは技術!!技術が身についたら自信になるし、そこから気持ちだってコントロールできるんだって!!精神論だの気持ちだの弱いやつらの常套句だよそんなものは!!」
はい、バッサリです。
この考え方は、陸上競技にも通じるところがあるでしょう。
気持ちなんてものは、最後の最後で勝負を分けるのであって、それに至るまでに十分なトレーニングを積んだ時、初めて意味が出てくると思います。
つまり、普段のトレーニングは、楽しいときもありますが、きつい・つらいときがほとんどだと思います。しかし、気持ちというものは、こうしたきつい・つらいトレーニングを乗り越えた上で作られていくもの。先に気持ちを持っていたとしても、トレーニングを行わなければ、能力は向上しません。そのため、トレーニングがちゃんと積み、設定したタイムをこなせるようになって自信がつくようになり、目標とした記録に手が届くようになってこそ、気持ちをコントロールでき、はじめて意味を持つということです。
これから、秋になり、暑くてつらいトレーニングを経て、トラックなりマラソンなり、駅伝に臨んでいくと思います。その際の反省は、気持ちなんて言葉で片付けないで、今後どのようなトレーニングをすべきか、他の原因を考えること。その考えられる原因を克服して、次につなげていってくれたらと思います。
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やぎ
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非公開
自己紹介:
陸上歴10年目のものがこれまでの経験、知識に加えて学会などの情報をまとめたものを陸上理論としてメモしておくブログです。
この世には常識とされていたものは非常識、また非常識とされていたものは常識となっています。それも含めいろいろ考察していくつもり
陸上生活に関する日記はリンクにあります。
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